ライトノベルのキャラクターデザインを、別のイラストレーターが新たに描き直して再刊する。
このとき、元のキャラクターデザイナーの許諾は必要なのでしょうか。
ライトノベル『いぬかみっ!』で表紙・挿絵とキャラクターデザインを担当したイラストレーターの若月神無氏が、電子書籍『いぬかみっ!総集編(上)』を発行したWiZHを相手取り、2026年8月31日に東京地方裁判所へ提訴しました。
報道によると、若月氏は該当電子書籍の配信停止と330万円の損害賠償などを求めています。
若月氏側は、総集編の表紙に描かれたキャラクターが、自身のデザインしたキャラクターを許可なく別のイラストレーターが描き直したものだと主張しています。
一方、出版社のWiZHは、提訴前の6月15日時点で「本作が第三者の著作権その他の権利を侵害するものではないと考えております」と公式に表明しています。
現時点でどちらの主張が法的に認められるかは確定していません。
それでも今回の訴訟は、単なる一冊の表紙を巡る争いでは終わらない可能性があります。

問題になったのは電子書籍『いぬかみっ!総集編』
『いぬかみっ!』は有沢まみず氏によるライトノベルシリーズで、2000年代に電撃文庫から刊行され、2006年にはテレビアニメ化されました。
若月神無氏は原作ライトノベルで表紙や挿絵を担当し、キャラクターデザインも手掛けています。
2026年、WiZHからシリーズをまとめた電子書籍『いぬかみっ!総集編(上)』が刊行されました。
ここで問題になったのが、新しい表紙です
若月氏の説明では、自身がデザインしたキャラクターを別のイラストレーターが描いた表紙が使われ、その際に若月氏への連絡や許諾がなかったとしています。
若月氏は9月1日に公開した説明で、自身のキャラクターデザインに関する著作権を他者へ譲渡していないとも主張しています。
出版社側は「著作権侵害ではない」と主張
一方のWiZHは、今回の問題について別の見解を示しています。
6月15日の公式発表では、『いぬかみっ!総集編(上)』について権利侵害の申し立てが複数の電子書籍ストアへ行われていることを公表しました。
そのうえで、
本作が第三者の著作権その他の権利を侵害するものではないと考えております
としています。
ただし混乱を避けるため、一部ストアでは『総集編(上)』を一時的に配信停止。『総集編(下)』についても配信開始を見合わせました。
WiZHは、この措置について「権利侵害の存在を認める趣旨ではない」と明記しています。
コミックシーモアでも『総集編(上)』は2026年6月15日をもって販売終了となっています。
「絵をコピーした」事件とは少し違う
今回の訴訟が興味深いのは、元のイラストそのものをコピーして表紙へ載せたという話ではないことです。
争われているのは、既存のキャラクターデザインを使って、別のイラストレーターが新しい絵を描く行為です。
イラスト制作では日常的に起こり得ます。
たとえばアニメ化するとき、ゲーム化するとき、漫画化するとき、グッズを作るとき。
元のキャラクターを、別のクリエイターが何度も描きます。
そこで重要になるのが、キャラクターデザインにどのような権利があり、その権利を誰が持っているのかです。
キーワードになる「翻案権」とは
今回の問題を考えるうえで出てくる著作権のひとつが「翻案権」です。
翻案権とは、既存の著作物をもとに、別の表現へ作り替えることをコントロールする権利です。小説の映画化や漫画化などが典型例ですが、イラストをもとに別のイラストを制作したケースでも問題になることがあります。
ただし、「似ていればすべて翻案になる」という単純なものではありません。
キャラクターのどの部分が著作権で保護される表現なのか、元作品の創作的な特徴が新しい作品から直接感じ取れるかなど、個別の事情によって判断されます。
今回も、まさにその境界が問題になっています。
「緑髪・赤目なら著作権侵害」と決まるわけではない
報道では、問題となるキャラクターについて「緑色の長髪」「赤い瞳」といった特徴が取り上げられています。
ただし、色や髪型など個々の要素を一つ持っているだけで、直ちに著作権侵害になるわけではありません。
著作権が保護するのはアイデアそのものではなく、そのアイデアを具体化した創作的な表現です。
たとえば、「赤い髪の女の子」「眼鏡をかけた男子高校生」「黒い鎧を着た騎士」といった設定そのものを、一人のクリエイターが独占することは通常できません。
一方で、髪型、衣装、アクセサリー、配色、体型など複数の特徴が組み合わさり、特定のキャラクターとして認識できるほど具体的な表現になっていれば、話は変わってきます。
今回の裁判では、その境界がどこにあるのかも注目されます。
キャラクターの「設定」と「デザイン」は同じではない
出版やゲームの制作現場では、この違いが曖昧になりやすいところです。
たとえば、原作者が文章で、「長い緑色の髪を持ち、赤い瞳をした少女」と設定したとします。
その文章上の設定と、イラストレーターがそこから作った具体的な髪型、表情、服装、装飾、シルエットまで含む視覚デザインは同じものではありません。
原作者がキャラクターを生み出しているからといって、イラストレーターが作った視覚的な表現の著作権まで当然に原作者へ移るとは限りません。
反対に、イラストレーターがキャラクターのビジュアルを作ったからといって、そのキャラクターに関するすべての権利を持つとも限りません。
契約内容や制作過程によって権利関係は変わります。
「キャラクターデザイン料を払った=著作権も買った」とは限らない
この点は、企業案件を受けるイラストレーターにも重要です。
クライアントから依頼されてキャラクターを制作し、報酬を受け取ったとしても、それだけで著作権が自動的にクライアントへ移るわけではありません。
著作権を譲渡する場合には、契約で定めるのが基本です
また、「著作権譲渡」と「利用許諾」も別物です。
利用許諾は、著作権そのものを渡すのではなく、決められた範囲で作品を利用することを認める契約です。
たとえば、
- ゲーム内で利用してよい
- 広告にも使ってよい
- グッズ化してよい
- 第三者が描き直してよい
など、どこまで認めるかを契約で定められます。
キャラクター案件では、この範囲が後から問題になりやすいところです。
長く続く作品ほど、権利関係は複雑になる
『いぬかみっ!』のように20年以上続くIPでは、刊行当初には想定されていなかった利用方法が後から出てきます。
- 紙の本として刊行する
- アニメ化する
- 電子書籍化する
- SNS用の画像を作る
- 海外配信する
- 新しいイラストレーターで再刊する
- グッズを作る
- ゲームへ登場させる
最初の契約時点ですべてを想定するのは難しいでしょう。
だからこそ、古い作品を新しい形で展開するときには、当時の契約内容と現在の権利者を改めて確認する必要があります。
同人活動にも無関係ではない
商業出版の訴訟ではありますが、考え方は同人活動にもつながります。
たとえば
- 合同誌で一人がキャラクターデザインを担当し、別の人がそのキャラクターを描く場合
- サークルのオリジナルキャラクターをグッズ化するとき
- 以前依頼したイラストレーターとは別の人へ、同じキャラクターの新規イラストを依頼するとき
最初に誰が何を作ったのか、どの利用まで許可されているのかを曖昧にしたまま進めると、後から認識が食い違うことがあります。
友人同士の制作でも同じです
むしろ距離が近い相手ほど契約書を作らず、「当然使っていいと思っていた」という状況になりやすいものです。
「描き直せば別作品」なのか
今回の裁判でクリエイター側が特に気になるのはここでしょう。
既存のイラストをトレースせず、別のイラストレーターがゼロから描けば、新しい作品として自由に使えるのでしょうか。
一概には言えません
著作権侵害では、「制作方法」だけでなく、元の著作物の創作的な表現が新しい作品へどの程度引き継がれているかなども問題になります。
- 構図を変える
- ポーズを変える
- 絵柄を変える
それだけで必ず別作品として問題がなくなるわけではありません。
反対に、同じキャラクター設定を使ったという理由だけで、必ず権利侵害になるわけでもありません。
今回の裁判が注目されるのは、この中間領域に踏み込んでいるからです。
生成AIの裁判ではない
若月氏は今回の問題を説明する中で、生成AIが普及した現在では他人の作品をもとにしたコンテンツを大量に作りやすくなったことにも言及しています。
ただし、ここは区別する必要があります。
今回問題となっている総集編の表紙について、生成AIが使われたと若月氏が主張しているわけではありません。
ORICONもこの点を明記しています
生成AIそのものを巡る訴訟ではなく、キャラクターデザインの権利を巡る訴訟です。
AIという単語だけを切り取ると、本来の争点から外れてしまいます。


判決が出れば、クリエイター案件の契約にも影響する可能性
現時点では提訴された段階であり、裁判所の判断は出ていません。
そのため、「若月氏の権利が侵害された」「WiZH側の利用には問題がない」のどちらも現時点では確定事項として書くべきではありません。
ただ、判決まで進んだ場合には、キャラクターデザインの保護範囲を考える一つの材料になる可能性があります。
特に、
- キャラクターデザイナーが作った視覚表現はどこまで保護されるのか
- 別のイラストレーターによる描き直しはどこまで許されるのか
- 原作者の権利とキャラクターデザイナーの権利はどう整理されるのか
という点は、出版だけでなくゲーム、アニメ、VTuber、グッズ制作などにもつながる論点です。
クリエイター側でできるのは、契約時に「将来の描き直し」まで決めておくこと
裁判の結論を待たずにできる対策もあります。
キャラクターデザインを依頼・受注するとき、単に「著作権譲渡あり・なし」だけを確認するのではなく、将来の利用まで具体化しておくことです。
たとえば、
- 他のイラストレーターが同じキャラクターを描いてよいか
- アニメ化・漫画化するときにデザインを変更してよいか
- 衣装違い・年齢違いなどの派生デザインを誰が制作できるか
- グッズ化へ追加許諾が必要か
- クレジットをどのように表示するか
- 続編や再刊でも同じ条件が適用されるか
といった項目です。
「キャラクターを使っていい」という一文だけでは、数年後に双方の想定がずれることがあります。
『いぬかみっ!』を巡る今回の訴訟が示しているのは、作品そのものだけでなく、キャラクターの見た目を誰が作り、その見た目を将来誰がどこまで利用できるのかも契約で整理する必要があるということです。
キャラクターが長く使われるほど、その確認は重要になります。
関連リンク
- WiZH|『いぬかみっ!』シリーズに関するお知らせ
出版社側の公式見解です。権利侵害を否定していること、一部ストアでの配信停止が暫定措置であることを確認できます。
WiZHの公式発表を見る - ORICON NEWS|若月神無氏、“無断リライト訴訟”の意義説明
若月氏側の主張と、弁護士監修のQ&Aについて報じています。
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