完成したフォントは毎日のように目にしますが、その前にどれだけのスケッチや試作が存在していたのかを見る機会はあまりありません。
独立系タイプファウンドリー「OH no Type Co.」による初の公式書籍『OH no の書体デザイン』の日本語版が、ビー・エヌ・エヌから刊行されています。
個性的なフォントを並べた見本帳ではなく、アイデアの着想からスケッチ、試作、完成へ至るまで、書体デザインの裏側を豊富なビジュアルとともに追える一冊です。
OH no Type Co.とは?
OH no Type Co.は、タイプデザイナーのJames Edmondson氏が2015年に設立した独立系タイプファウンドリーです。
タイプファウンドリーとは、フォントを設計・制作し、ライセンスを提供する会社やスタジオのこと。かつて活字を鋳造していた「活字鋳造所」を意味する言葉が、現在ではデジタルフォントを制作する組織にも使われています。
OH no Type Co.の書体は、整然としたニュートラルなフォントとは少し違います。
太さや幅、曲線を大胆に動かしたもの、どこかユーモラスなもの、古いレタリングを思わせながら現代的に見えるものなど、文字そのものに強いキャラクターを持たせた書体を数多く制作しています。
Google Fontsで提供されている「Fraunces」を見たことがある人なら、OH no Type Co.を知らなくても、その仕事には触れているかもしれません。
完成したフォントではなく「そこへたどり着くまで」を見る本

『OH no の書体デザイン』で中心になっているのは、完成したアルファベット一覧ではありません。
アイデア、リサーチ、スケッチ、試作、失敗、調整を経て書体が完成していくまでの過程です。
デザイナーが普段目にするフォントは、すでに完成した状態です。
AからZまで整い、数字や記号が揃い、Regular、Bold、Italicなどのファミリーが用意されている。その状態だけを見ると、最初から完成形を想定して一文字ずつ設計しているようにも見えます。
もちろん、そんなに一直線には進みません
手描きの文字から始まることもあれば、古い印刷物や看板、レタリングから発想が広がることもあります。一文字を描いてみた結果、そこから書体全体の方向性が決まることもあります。
本書では、その途中経過まで見ることができます。
フォント制作でも「最初から正解を描かない」

グラフィックデザインやイラスト制作にも通じるのが、試作の存在です。
完成した書体を見ると、すべての曲線や比率に最初から理由があったように感じます。
ところが制作途中まで戻れば、形を誇張したり、削ったり、別の方向へ振ったりしながら探っています。
これはロゴ制作にも近いところがあります。
最終的に採用されたロゴだけを見るとシンプルでも、その裏では何十、何百という案が作られていることがあります。
フォントも同じです。最終的に使われなかった形まで含めて見ることで、「この書体はなぜこの形になったのか」が見えてきます。
一文字だけ面白くてもフォントにはならない
書体デザインの難しいところは、一文字の完成度だけでは終われないことです。
たとえば特徴的な「R」を一文字作るだけなら、レタリングとして成立します。
しかしフォントにするなら、そのRと同じ世界に存在できるA、B、C……を作らなければなりません。
さらに小文字、数字、句読点、記号へと展開していきます
文字ごとに個性を出しすぎれば文章にしたときにバラバラになり、揃えすぎれば最初にあった面白さが消えてしまいます。
「一文字のアイデアを、どうやって文字体系へ広げるか」は、フォント制作ならではの課題です。
本書の制作過程を見ると、フォントが単なる「アルファベットのイラスト集」ではないことも見えてきます。
フォントを見る目も少し変わる

自分でフォントを作る予定がないデザイナーにも、この本は関係があります。
フォント選びが変わるからです。
デザインソフトのフォントメニューを上から順番に切り替えて、「なんとなくこれが合う」で決めてしまうことは珍しくありません。
しかし書体を見るとき、
- 文字幅は広いのか、狭いのか
- xハイトは高いのか
- ストロークのコントラストは強いのか
- 端部はどう処理されているのか
- 曲線は幾何学的か、人の手の動きを残しているか
- 太くしたときにどの部分が変化しているか
まで見るようになると、フォント選びにも理由を持たせやすくなります。
xハイトは、欧文書体で小文字の「x」に相当する高さです。xハイトが高い書体は同じポイント数でも小文字が大きく見えやすく、本文の印象や可読性にも影響します。
「かっこいいフォントを探す」から、「このデザインには、なぜこの形の文字が必要なのか」へ視点を変えるきっかけになります。
装丁やパッケージを作る人にも面白い

OH no Type Co.の書体は、本文を静かに読ませるためだけの文字ではなく、文字自体をグラフィックとして見せる使い方とも相性があります。
そのため本書はタイプデザイナーだけでなく、装丁、雑誌、ポスター、パッケージ、ブランディングなどを手がけるグラフィックデザイナーにも参考になります。
とくに装丁では、タイトルの数文字がデザインの大部分を占めることがあります。
- 既存フォントをそのまま置くのか
- 文字間を変えるのか
- 一部だけ形を調整するのか
- 別の書体と組み合わせるのか
書体そのものがどう設計されているかを知っていると、文字を扱うときの選択肢も増えてきます。
「フォントを作る人」の頭の中を覗ける
フォント関連の本には、書体の歴史を学ぶ本、名作フォントを紹介する本、フォント選びを教える本などがあります。
『OH no の書体デザイン』は、それらとは少し立ち位置が違います。
見せているのは、完成した書体の向こう側です。
何を見てアイデアを思いつき、どんな形を試し、どこで違和感を覚え、どう修正していったのか。
デザインの勉強では完成作品を見る機会が圧倒的に多い一方、上達のヒントになるのは、その完成品へ至るまでに捨てられた案だったりします。
フォントを作りたい人だけの専門書として見るのは、ちょっともったいない一冊です。
文字を使ってデザインする人なら、普段何気なく開いているフォントメニューの見え方が変わるかもしれません。