『ムーミン』で知られるトーベ・ヤンソンを「キャラクターを生み出した作家」ではなく、ひとりのイラストレーターとして追いかける大規模展がロンドンで開催されます。
「Tove Jansson and her Families」は2026年11月21日から2027年5月9日まで開催。
未公開ドローイングを含む100点を超える作品・資料が集まり、最初のムーミン本の原画から風刺画、書籍イラスト、壁画まで、ヤンソンが生涯にわたって行った幅広い制作をたどります。一般向けチケットは9月22日から販売されます。
7歳で小冊子を自作して、同級生に売っていた

今回の展示で興味深いのは、有名になった後のムーミンだけを並べないことです。
英The Guardianが紹介している展示資料には、ヤンソンが7歳のころに文章とイラストを組み合わせて作っていた手製の小冊子も含まれます。しかも作るだけではなく、同級生へ販売していました。
現在ならZINEや自主出版と呼びたくなるような活動を、子どものころから始めていたことになります。
ZINEは、個人や少人数が自分たちで企画・制作・発行する冊子です。 商業出版のように出版社を通す必要はなく、文章、写真、イラスト、漫画など内容や形式も作り手自身が決められます。
後に世界規模のキャラクターへ成長するムーミンだけを見ると、ヤンソンの仕事は突然大きな作品として現れたようにも見えます。
ところが、その前には「自分で描く」「本の形にする」「人に渡す」という制作がすでにあった。
自主制作を続けているイラストレーターや同人作家にとっては、この初期資料だけでも気になる展示です。
最初のムーミン本の原画も展示
会場には、1945年に刊行された最初のムーミン作品『小さなトロールと大きな洪水』に関する原画も展示されます。
完成した本だけではなく、ムーミンという世界が出版物として形になっていく初期の資料を見られることになります。
さらに今回、これまで公開されていなかったドローイングも登場します。
そのひとつが『ムーミンパパ海へいく』の表紙へ向けて描かれた、巨大な貝殻とムーミンパパのスケッチです。

最終的に刊行された表紙とは異なる案で、ゲストキュレーターのPaul Gravett氏は、完成版とは違いながらも同じくらい良いものだとThe Guardianへ語っています。
キュレーターは、展覧会で何を見せるかを考え、作品の選定や構成、調査などを行う専門職です。 作品を集めるだけではなく、それぞれをどの順番・文脈で見せるかまで設計します。
イラストレーターにとって、完成した表紙と不採用になった案を比較できる資料は貴重です。
「完成品として何が残ったか」だけではなく、その前にどんな選択肢があり、何を捨てたのかまで見えてくるからです。
ムーミンだけではない、トーベ・ヤンソンの「イラストの仕事」
ヤンソンはムーミン以外の本にも絵を描いています。
代表的なのがルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や『スナーク狩り』、J.R.R.トールキンの『ホビット』です。
今回の展覧会でも、こうしたファンタジー文学のために制作したイラストが扱われます。
特に『ホビット』では、ヤンソンがゴクリを巨大な生物として描いたことで知られています。
原作では当時、ゴクリの大きさが明確に説明されていませんでした。The Guardianによれば、ヤンソンの解釈を見たトールキンがその曖昧さに気づき、後の版でゴクリを「small」と説明する記述を加えたとされています。
挿絵は、文章に書いてあるものをそのまま絵へ変換する作業ではありません。
文章に書かれていない部分を、イラストレーターが解釈して決めなければならないことがあります。
その解釈が強ければ、場合によっては原作側へ影響を返すことさえある。装画や挿絵を仕事にする人には面白い事例です。
風刺雑誌『Garm』では政治漫画も描いた

かわいらしいムーミンの絵柄からは距離があるように見えますが、ヤンソンは政治風刺画も数多く制作しました。
フィンランドの風刺雑誌『Garm』では、第二次世界大戦期にヒトラーやスターリンを批判する作品を描いています。今回の展示でも、この時期の仕事が取り上げられます。
風刺画は、社会や政治、人間の行動などを、誇張やユーモアを使って批評するイラストレーションです。 新聞や雑誌に掲載される一コマ漫画なども代表的な形式です。
同じ作家が、児童文学の挿絵、新聞漫画、政治風刺、装画、絵画を行き来していたことになります。
現在は
- キャラクターデザイナー
- 漫画家
- イラストレーター
- 装画家
と仕事を細かく分類しがちですが、ヤンソンの制作歴を見ると、その境界はずっと曖昧です。
ひとつの絵柄をひとつの媒体だけに固定しない働き方として見ても興味深いところです。
母親はグラフィックデザイナーだった
展覧会タイトルにある「Families」は、ムーミン一家だけを指しているわけではありません。
ヤンソン自身を取り巻いていた家族、友人、恋人、文化的コミュニティも展示のテーマです。
主催者はその中でも、ヤンソンの母親でグラフィックデザイナーだったSigne Hammarsten-Janssonから受けた影響を取り上げるとしています。
作品だけを年代順に並べるのではなく、「誰と一緒に生きていたのか」から制作を見直す構成です。
ムーミンに登場するキャラクターにも、ヤンソンの周囲にいた人々との関係が反映されています
完成したキャラクターデザインだけを分析するのではなく、その人物を作った作家自身の生活や人間関係まで遡る。
長く続く物語やキャラクターがどう作られるのかを見るうえで、こちらも重要な視点になりそうです。
フィンランド復興期には巨大な壁画も制作
書籍の中だけで仕事をしていたわけでもありません。
戦後のフィンランドでは、公共空間へ設置する大規模な壁画も制作しました。今回、そのうちの一点が英国で初めて展示されます。
公共空間のための壁画は、個人宅ではなく学校、施設、公共建築など多くの人が利用する場所を前提に制作される大型作品です。 本の挿絵とは鑑賞距離もサイズも違うため、同じ作家でも画面の組み立て方が変わります。
小冊子から本へ、本から新聞へ、さらに建築空間へ。
媒体が変わっても絵を作り続けたことが、今回の展示資料を横断すると見えてきます。
コーヒーの染みが付いた初期コミックのスケッチも残っていた
ヤンソンと英国には、もうひとつ大きな接点があります。
1954年、ロンドンの新聞『Evening News』でムーミンのコミックストリップ連載が始まりました。その後、作品は世界各国へ広がっていきます。
コミックストリップは、新聞などへ掲載される数コマ程度の短い漫画です。 横一列にコマを並べる形式も多く、日本の新聞4コマ漫画に近い役割を持っています。
今回の展示には、その初期資料も含まれます。
面白いのは保存状態です。
The Guardianによれば、展示予定の初期スケッチにはコーヒーの染みがあり、かつて捨てられそうになったものを別の漫画家が見つけて救い出したそうです。
今では美術館で展示される制作資料も、描かれた瞬間から「歴史資料」だったわけではありません。
ラフ、没案、試し描き、制作途中の紙。
作っている本人にとっては処分してしまいそうなものが、後から制作過程を知る重要な資料になることがあります。
デジタル制作でも同じでしょう
完成データだけを残してレイヤー付きデータや途中案をすべて削除してしまうと、その作品がどう作られたのかは後から追えなくなります。
今回の展示は、完成作品だけでなく制作途中を残す意味まで考えさせられます。
100点を超える資料から「ムーミンを描いた人」の外側を見る

「Tove Jansson and her Families」は、英国で初めてヤンソンのイラストレーションへ焦点を当てる展覧会です。
未公開ドローイングを含む100点以上のスケッチ、絵画、イラスト、写真などを展示。ムーミンの原画だけを集めた企画ではありません。
- 7歳で作った小冊子
- 風刺雑誌の政治漫画
- 児童文学の挿絵
- ムーミンの本
- 新聞連載
- 公共空間の壁画
こうして並べると、「世界的キャラクターを生み出した作家」という一言では収まらない制作量です。
イラストレーターとして仕事をするとき、「自分はこの絵柄だから」「このジャンルの人だから」と活動範囲を決めることがあります。
ヤンソンの仕事を振り返ると、ひとつの世界観を持ちながら、媒体はずっと変えられることがわかります。
展覧会は2026年11月21日から2027年5月9日まで。一般向けチケット販売は9月22日10時(英国時間)から始まります。
関連リンク
Tove Jansson and her Families|Quentin Blake Centre for Illustration
冬季展覧会プログラム発表|Quentin Blake Centre for Illustration
未公開資料・展示内容の詳細|The Guardian