ひとつのフォントを32年間作り続けたら、最初に描いた文字はどれほど変わるのでしょうか。
スウェーデンのタイプファウンドリ「Letters from Sweden」が、Göran Söderströmによる書体「Exemplar」の最終版を2026年にリリースしました。
制作が始まったのは1994年。途中で一度完成品として世に出しながらも設計を見直し、2008年の第2版を経て、2026年に3度目のExemplarへ到達しています。
完成した書体だけでなく、30年以上にわたって同じ文字を描き直してきた過程まで作品として残しているのが、このプロジェクトの面白いところです。
最初のExemplarを描いたのは1994年

Exemplarの制作が始まった1994年、Söderströmが使っていたのはPower Macintosh 7100でした。
一度は書体として公開したものの、本人の中には何かが足りないという感覚が残ったといいます。その結果、完成した書体をそのまま残すのではなく、再び描き直すことになりました。
第2版が完成したのは2008年です。
Rodrigo CavazosとStefan Hattenbachとの対話や共同作業を経て、初期版にあった過剰な部分を整理。そこからさらに18年を経て、2026年の最終版へたどり着きました。
フォントは一度リリースしたら完成、とは限りません。OSや制作環境が変わり、必要とされる文字が増え、デザイナー自身の文字を見る目も変わります。Exemplarの場合、その変化を32年間にわたって同じ書体へ反映し続けています。
5ウェイト+イタリック、1,018グリフの書体へ
2026年版のExemplarには、5つのウェイトとそれぞれのイタリックが用意されています。
収録されているのは1,018グリフ。ラテン文字だけでなく、キリル文字、ギリシャ文字、アラビア文字まで含み、対応言語は370に達します。
グリフとは、フォントの中に収録されている個々の文字や記号の形を指します。 アルファベットだけでなく、数字、句読点、通貨記号、アクセント付き文字、合字などもそれぞれグリフとして収録されます。
欧文フォントを見るときは、A〜Zのデザインへ目が向きやすいものです。しかし実務で使える書体にするには、それだけでは足りません。
たとえば「a」ひとつを作ったからといって、á、à、â、ä、ãなどが自動的に完成するわけではありません。数字や記号も必要ですし、イタリックを単純に斜めへ倒すだけではなく別の字形として設計する場合もあります。
Exemplarの1,018という数字を見ると、フォント制作が「アルファベットを26文字デザインする仕事」からどれほど離れているかが見えてきます。
370言語対応は、同じ文字を増やすだけではない


今回のExemplarでは、Laurette Colmardがギリシャ文字、Léo Guibertがアラビア文字の設計に参加しています。
特にアラビア文字版は、ラテン文字版をそのまま別の文字へ置き換えたものではありません。
Exemplar Arabicは、アラビア書体の代表的な様式であるナスフ体を土台としながら、ラテン文字版が持つ強いコントラストとの関係を作っています。鋭い角や簡略化したストローク、尖ったターミナルなども取り入れ、別の文字体系でありながらExemplarとして同居できる形を探っています。
ナスフ体は、アラビア文字の伝統的な書体様式のひとつです。可読性に優れ、書籍や印刷物など幅広い用途で使われてきました。
多言語書体の難しさは、文字を追加するだけでは済まないところにあります。それぞれに異なる歴史や筆記方法があり、文字の組み立て方も違います。その違いを壊さず、一つのファミリーとして見えるところまで調整する必要があります。
370言語という対応数以上に、4つの文字体系を同じ書体へまとめた設計過程のほうが興味深いところです。
「昔の自分のデザイン」を捨てずに描き直す
Exemplarの制作過程で印象的なのは、32年間ずっと同じ形を磨き続けたわけではないことです。
1994年版、2008年版、2026年版と、時期を分けて大きく描き直しています。
長期間制作していると、昔の作品へ違和感を覚えることがあります。当時は完成だと思っていたものでも、数年後に見ると文字の幅やカーブ、余白の取り方が気になる。そこで古い作品を封印して新しいものを作る方法もありますが、Exemplarでは同じ名前の書体へ戻り続けました。
Letters from Swedenは、この制作について「描き、描き直すことは、自分自身と自分を形作る世界を理解するための訓練」と説明しています。
32年前のデザインをそのまま保存するのでも、過去をなかったことにして作り直すのでもなく、過去の設計を材料に次の形を探していく。完成したフォントを見るだけでは見えない、長期制作ならではの部分です。
32年間の制作場所を、大理石の標識に刻んだ
Exemplarの完成に合わせて作られたものが、もうひとつあります。
3枚の大理石製ストリートサインです。
制作されたのはイタリア・ピエトラサンタ。大理石彫刻の長い歴史を持つ土地で、石工Barbara AdamskyがExemplarを手彫りしています。
標識に刻まれているのは、書体が作られたそれぞれの時代と住所。ひとつの標識がひとつの年代と制作場所に対応し、32年間の履歴そのものを物体として残しています。
ここで面白いのは、Exemplarがローマ時代の碑文を模倣した書体だから石へ彫ったわけではないことです。
Letters from Swedenが結びつけたのは文字の「形」ではなく、文字を長く残すという行為でした。
イタリアでは、街路標識を大理石へ手彫りする文化が長く続いています。デジタルフォントとして30年以上更新され続けたExemplarを、最後に簡単には書き換えられない石へ刻む。プロジェクトの締めくくりとしてよく考えられた選択です。
デジタルで何度も修正した文字を、最後は「Undoできない」素材へ

フォント制作では、アンカーポイントを動かせば曲線を直せます。昨日のデータへ戻ることも、複製して別案を試すこともできます。
石彫りではそうはいきません。
一度削った石を元へ戻すことはできないため、彫り始める前に文字の形、位置、間隔を決める必要があります。
Exemplarの完成を記録した短編映像「SET IN STONE」でも、デジタルで作られた文字が大理石へ移され、職人の手によって彫られていく工程が記録されています。
32年間、何度も修正できる環境で描き直してきた文字を、最後に修正の利かない素材へ定着させる。この対比まで含めてExemplarというプロジェクトが完成しています。
30年前のフォントが「古いフォント」にならなかった理由
1994年から存在しているなら、Exemplarを単純に「30年以上前のフォント」と呼ぶこともできます。
しかし2026年版は、1994年のデータを復刻したものではありません。
最初の設計を残しながら、2008年に見直し、さらに現在の文字環境に合わせて収録文字と言語を拡張しています。制作開始年は古くても、完成した書体は2026年のものです。
フォントには復刻という作り方もあります。古い活字や写植書体を調査し、その特徴をデジタル環境で使えるよう再構築する方法です。
Exemplarはそれとは違います。過去の完成品を保存するのではなく、同じ作者が自分の設計へ何度も戻り、現在まで育て続けました。
32年という制作期間の長さ以上に、「完成したものをもう一度疑う」という作り方そのものが、この書体の特徴なのかもしれません。
関連リンク
Letters from Sweden|Exemplar
Letters from Sweden|Exemplar Arabic
Exemplar, SET IN STONE|Vimeo
Creative Boom|The best new fonts for September 2026
