Apple Musicが2026年10月、新しいブランドアイデンティティを発表しました。
注目を集めているのは、実際の音を液体に伝え、その振動を撮影するという独特な制作方法です。音楽プロデューサーのFred again..らが参加し、専用の装置やソフトウェアを開発して完成させた新デザイン。海外デザインメディア『It's Nice That』が公開した制作責任者へのインタビューでは、数か月に及ぶ実験と、完成までの意外な試行錯誤が語られています。
音楽サービスなのに、音楽らしさが足りなかった

今回のリブランディングを担当したのは、Appleの広告・ブランド制作を長年手がけているクリエイティブエージェンシー「TBWA\Media Arts Lab」です。
同社のグローバルデザイン責任者であるJames Taylorは、『It's Nice That』のインタビューで、従来のApple Musicには音楽サービスとしての個性が十分に表れていないと感じていたことを明かしています。
Appleらしい完成度や洗練された印象はあるものの、テクノロジー企業のサービスという印象が強い。そこに音楽が持つ感情やエネルギーを取り戻したいという思いがありました。
この課題から生まれたコンセプトが「Made by Sound(音によって作られた)」です。
音をイメージさせるグラフィックを描くのではなく、音そのものを使ってグラフィックを作る。発想はシンプルですが、実現するには従来のデザイン制作とは異なるアプローチが必要でした。
Apple Musicの新しいブランドアイデンティティでは、ロゴの周囲に光が屈折したような波紋が広がり、ガラス越しに見たような揺らぎが生まれます。
こうした映像はCGでも再現できそうですが、制作チームが選んだのは、液体を音で振動させる物理的な実験でした。
ミネラルオイルに音を流し、波紋を撮影する

新しいビジュアルの制作では、液槽にミネラルオイルを入れ、音声信号を振動に変換する「トランスデューサー」という装置を使用しています。
トランスデューサーは、電気信号を物理的な振動へ変換する装置の総称です。今回の制作では、音の周波数に応じた振動を液体に伝える役割を担いました。
装置を通して音を再生すると、液体の表面に波紋が発生します。その下に配置したロゴや文字は、液体の動きによって屈折して見え、独特の視覚表現が生まれます。
制作チームは、この現象をカメラで撮影しました。音の波形をコンピューター上で可視化したのではなく、音が実際の物質に与えた変化を映像として記録したわけです。
制作に参加した映像スタジオ「Optical Arts」は、今回のために専用の装置とソフトウェアを開発しました。音楽の音符を単純な波形に変換し、その情報を使って装置を制御する仕組みです。
既製の機材を組み合わせるだけでは、狙った動きを作り出せなかったそうです
実験に使う液体の選定にも時間がかかりました。粘度が低すぎると、音に反応した液体が激しく乱れてしまいます。反対に、粘度が高すぎれば、十分な動きが生まれません。
制作チームは異なる粘度のオイルや配合を試し、光の屈折と液体の動きが美しく見える条件を探りました。
『It's Nice That』によると、この研究開発にはおよそ8〜10週間を費やしたそうです。ロゴの制作というより、物理現象を利用した映像装置の研究に近い作業だったことがわかります。
美しい音楽を流しても、美しい映像にはならなかった
今回の制作で特に興味深いのは、音楽と映像の関係です。
綺麗な音楽を流せば、液体も綺麗な動きをするのではないか。そう考えたくなりますが、制作チームが直面した現実は違いました。
音数の多い複雑な楽曲を再生すると、液体が激しく乱れてしまいます。音楽として心地よい和音が、映像として魅力的な波紋を生み出すとも限りません。音の高さ、音を鳴らすタイミング、複数の音の組み合わせによって、液体の動きは変わります。
制作責任者のJames Taylorは、音楽としては素晴らしい組み合わせでも、映像にするとひどい結果になることがあったと振り返っています。
そこでチームは、制作方法を変更しました。先に美しい音楽を完成させて、その音を映像に変換するのではなく、まず理想的な波紋を探し、そこから必要な音を逆算する方法です。

本来、音楽サービスのブランディングであれば、音楽が主役で映像はそれに従うものと考えられそうです。しかし今回の制作では、映像側の要件が音楽の作り方を変えています。
どちらか一方が完成してからもう一方を作るのではなく、音と映像を行き来しながら調整を繰り返しているのです。
この試行錯誤は、今回のプロジェクトを単なる実験映像から、ブランディングの仕事へと発展させた重要な部分でしょう。
Fred again..が参加した理由も、制作上の制約にあった
理想的な波紋を生む音の条件が見えてきたところで、制作チームは音楽プロデューサーのFred again..と、サウンドデザインを手がけるNEST Acousticsに協力を依頼しました。
Fred again..は、イギリス出身の音楽プロデューサーです。電子音楽を中心に活動し、日常の音声や録音素材を取り入れた楽曲でも知られています。
今回の仕事では、好きな音を自由に作れるわけではありませんでした。美しい映像を生み出すことが確認された音を中心に、音楽として成立する短いフレーズを制作する必要があったからです。
James Taylorによれば、Fred again..はその難しさに魅力を感じ、参加を決めたといいます。
最終的に制作された音は、Apple Musicの新しいサウンドロゴにも使用されています。
サウンドロゴとは、企業やサービスを短い音で識別できるようにするブランド表現です。映像の冒頭や末尾などで耳にする、数秒程度の音を想像するとわかりやすいでしょう。
今回のApple Musicでは、サウンドロゴを構成する音と、その音によって生まれる波紋が結びついています。
つまり、見た目と音が偶然似た印象になっているのではなく、同じ制作工程から生まれているのです。
この関係はブランディングとしてよくできています
音楽を扱うサービスだから音符をロゴにする、という表面的な結びつきから一歩踏み込み、ブランドの中心にある音楽をデザインの生成過程にも組み込んでいるからです。
完成したロゴを見ただけでは制作の仕組みまではわかりません。それでも制作背景を知った後は、波紋の意味がまったく違って見えてきます。
CGを使わなかった、という話ではない

今回のプロジェクトは、物理的な現象を使った制作方法が大きく取り上げられています。
ただし、すべての工程がアナログだけで完結しているわけではありません。初期段階ではCGやアニメーションによる試作も行われています。また、最終的なアニメーションは、個別に撮影した100以上のフレームを合成して制作したと報じられています。
制作クレジットにはVFXを担当したTime Based Artsの名前もあります。そのため、CGやデジタル技術を排除した作品と捉えるのは正確ではありません。
重要なのは、映像の核となる動きを実際の音と液体から生み出し、それをデジタル技術によって完成させていることです。
物理的な素材を撮影して、編集ソフトで加工する。アナログな絵をスキャンして、Photoshopで仕上げる。こうした制作方法自体は以前から存在します。
今回の事例でも、物理的な実験とデジタル処理は対立していません。最終的な表現に必要な質感や動きを得るために、どの工程を実物で作り、どの工程をデジタルで処理するのか。その判断が作品の個性を生んでいます。
完成したロゴだけでは終わらない。Apple Music全体に広がる新デザイン

数か月を費やして制作した実験映像も、広告一本だけで終わってしまえば、日常的に使うブランドデザインとしての価値は限られます。
Apple Musicの制作チームは、波紋の表現をサービス全体に展開するため、6〜7種類のバリエーションを開発しました。それぞれが、Apple Musicの異なる機能や特徴に対応するように設計されています。
たとえば、楽曲を自然につなぐ「AutoMix」では、二つの画像がガラスを通して混ざり合うような表現を採用しています。楽曲同士が滑らかにつながる機能を、視覚的な動きへ置き換えているわけです。
ほかにもSpatial Audio(空間オーディオ)やLossless Audio(ロスレスオーディオ)など、Apple Musicの機能に応じた表現が用意されています。
さらに、動画だけでなく静止画にも使えるように設計されています。写真の一部が屈折したり、ずれたりすることで、動いていない画像にも音の影響を感じさせる仕組みです。
この展開を見ていると、Apple Musicが作ったのは単なるロゴアニメーションではなく、ひとつの視覚表現を中心としたデザインシステムだとわかります。
デザインシステムとは、複数の画面や媒体で統一されたデザインを使うためのルールや要素をまとめた仕組みです。
広告映像、イベント、Webサイト、アプリなど、使われる媒体が変わっても、同じブランドだと認識できるようにする役割があります。
実験的な表現を実務で使うには、その表現を繰り返し利用できることも重要です。
今回の波紋は、一度だけ偶然生まれた美しい映像では終わっていません。機能や媒体に合わせて応用できる表現として整理されています。
ロゴの色や文字は、意外なほどシンプルになった

波紋を使った複雑なビジュアルとは対照的に、Apple Musicの基本的なロゴデザインはシンプルな方向へ変更されています。
従来の鮮やかな赤を中心としたブランドカラーから、白と黒を基調とするデザインに移行しました。
文字にはAppleの書体「SF Pro」をベースにしたカスタムデザインが採用されています
小文字の「music」を太く、幅広く表現することで、以前よりも力強い印象になっています。スマートフォンの小さな画面では、省スペースで表示できる細身の文字が選ばれやすいものです。しかし今回は、あえて横幅のある文字を採用しました。
Appleのシンボルマークと「music」の文字を並べたときのバランスにも注意が払われています。
こうした変化を見ると、Apple Musicが何もかも複雑なデザインへ変更したわけではないことがわかります。文字やロゴの基本部分は明快に保ち、その周辺に音から生まれた動きや質感を加える。役割を分けて設計しているのです。
色の扱いにも同じような意図が見られます。今回のブランドアイデンティティでは、アーティストの写真や映像が持つ色を生かすため、ブランド自体の基本色を抑えています。
音楽配信サービスが扱うコンテンツは幅広く、アーティストによって表現も異なります。強いブランドカラーをすべてのビジュアルに使えば、統一感は生まれますが、コンテンツごとの個性を損なう場合もあるでしょう。
Apple Musicの新デザインは、サービスの存在感を保ちながら、アーティストの表現を邪魔しない方向を選んでいます。
78秒のメイキング映像が、完成したロゴと同じくらい重要だった
今回のリブランディングでは、78秒のメイキング映像も公開されています。液体が振動する様子、装置を調整するスタッフ、音を組み立てる工程などが収められた映像です。
ブランドデザインの発表では、完成したロゴや広告ビジュアルが中心になることが一般的です。制作の裏側は、補足的なコンテンツとして扱われることもあります。
しかし、Apple Musicでは制作過程を見せること自体が、ブランドの印象を作る役割を担っています。
『It's Nice That』のインタビューでJames Taylorは、メイキング映像を単なる付属物とは考えていないと語っています。
完成したデザインだけでは、その背景にどれほどの時間や工夫が費やされたのかわかりません。ましてや現在は、生成AIをはじめとした技術によって、完成度の高い画像や映像を短時間で制作できるようになっています。
見る側にとっては、どのような方法で作られたのかを完成品から判断することが難しくなりました。
だからこそ、制作工程を公開することが、ブランドに対する信頼や興味につながる場合があります。
ただし、手間をかけたから価値が高い、という単純な話でもありません。何のためにその方法を選び、どのような結果が生まれたのか。その過程に納得できる理由があるから、見る人は興味を持つのでしょう。
Apple Musicの場合は、「音楽を扱うサービスが、音楽そのものを使ってロゴを作った」という明確な関係があります。制作風景が面白いだけでなく、ブランドのコンセプトを伝える映像として成立しています。
生成AI時代に、制作プロセスを見せる意味
生成AIが普及した今、完成画像だけを見て制作方法を判断することは難しくなっています。写真のように見える画像が実写とは限りませんし、手描きのように見えるイラストが実際に描かれたものとも限りません。
デジタル制作でも、手作業と自動処理の境界は以前から曖昧でした。生成AIによって、その境界がさらに見えにくくなっています。
この変化は、制作物の価値を考えるうえで興味深い問題を生んでいます。同じような見た目の作品でも、素材の収集や実験を重ねたものと、短時間で生成したものでは、制作の背景が異なります。
だからといって、時間をかけた作品が必ず優れているわけではありません。
ただ、制作過程に独自性があれば、それ自体が見る人の関心を引く要素になることがあります。
Apple Musicのメイキング映像は、そのことをよく示しています。完成したロゴにはない情報が、制作過程には含まれているからです。
失敗した実験、選ばれなかった素材、予想外の現象、そこから生まれた工夫。こうした過程を知ることで、完成作品への見方が変わります。
特にクリエイターにとっては、作品の背景を伝えることが、自分の表現を理解してもらう機会にもなるでしょう。
個人のデザイナーやイラストレーターにも応用できる考え方

Apple Musicのように、専用の装置やソフトウェアを開発するのは、個人の制作では現実的ではないかもしれません。
しかし、今回のプロジェクトで参考になるのは、制作規模の大きさよりも、アイデアの組み立て方です。
たとえば、音楽イベントのポスターを制作するとします。一般的には、楽曲のジャンルやアーティストの雰囲気に合わせて、書体や配色、モチーフを考えるでしょう。
別の方法として、実際の楽曲から生まれた波形や、音に反応する水面の模様を撮影し、それをビジュアルの素材として使うことも考えられます。
小説の装丁であれば、作中に登場する紙や布、植物などを使って独自のテクスチャを制作する。イラストであれば、描く対象に関連する素材を使って色や形を作る。
そうした素材をデジタルで加工しても、制作の出発点には作品と結びついた理由が残ります
もちろん、すべての案件で実験的な制作が必要なわけではありません。既存の素材やデジタルツールを使ったほうが適している仕事も多くあります。
今回の事例から学べるのは、何を作るかだけでなく、何から作るかを考えるという視点です。
制作方法が作品のテーマと結びつけば、見た目だけでは伝わらなかった意味が生まれることがあります。その意味を制作過程とともに発信すれば、完成品だけを紹介する場合とは違った関心を集められるかもしれません。
ただし、メイキングを公開すること自体が目的になってしまうのは避けたいところです。
制作工程に面白い発見があるからこそ、人はその先を見たいと思います。完成品の宣伝のために無理やり物語を作るよりも、実験や判断の過程を自然に記録しておくほうが、伝わる内容も豊かになるはずです。
「何を作ったか」と同じくらい、「どう作ったか」が語られる時代
Apple Musicの新しいブランドアイデンティティは、音楽を液体の波紋に変えるというユニークな手法で制作されました。
しかし、その魅力は実験的な見た目だけにあるわけではありません。
音楽サービスとしての個性を取り戻すために音を使い、物理的な実験を通してビジュアルを作り、そこからサウンドロゴを生み出す。完成した表現を複数の機能や媒体に展開し、その過程をメイキング映像として公開しています。
制作方法、完成作品、発信する内容が、ひとつのコンセプトで結びついています
生成AIやデジタルツールが発達していく中で、クリエイターが使える表現方法は増え続けています。何かを作るために、必ずしも時間のかかる方法を選ぶ必要はありません。
それでも、あえて実物を使ったり、偶然の現象を取り入れたりすることでしか生まれない発見はあります。
Apple Musicが見せたのは、アナログ制作への回帰というより、使える技術を組み合わせて新しい表現を探る姿勢でしょう。そして、完成までに何が起こったのかを見せることも、作品を届ける方法のひとつになっています。
デザインが完成した瞬間だけでなく、作られていく時間にも価値を見いだす。今回のリブランディングは、その可能性を感じさせる事例です。
関連リンク
- Apple Music公式|Made by Sound: Behind the new brand identity(制作映像)
https://www.youtube.com/watch?v=1XxNXkOHKZw - It's Nice That|Exactly how Apple Music used sound to build its new brand identity(制作責任者インタビュー)
https://www.itsnicethat.com/features/apple-music-rebrand-graphic-design-spotlight-281026 - Marketing Brew|Baby oil and sound waves: How Apple Music created its new brand mark
https://www.marketingbrew.com/stories/apple-music-brand-mark-behind-the-scenes - Fast Company|The new, handmade Apple Music logo leans into the science of sound
https://www.fastcompany.com/91627164/for-the-new-apple-music-logo-designers-lean-into-the-science-of-sound - Creative Boom|Apple Music's new logo was shaped by Fred Again and a bath of mineral oil
https://www.creativeboom.com/news/apple-musics-new-logo-was-shaped-by-fred-again-and-a-bath-of-mineral-oil/ - Record of the Day|Apple Music introduces new brand identity(公式発表資料)
https://www.recordoftheday.com/news-and-press/apple-music-introduces-new-brand-identity