人間には文章として読めるのに、AIへ画像として渡すと別の文字として認識される。そんな実験的書体「Decoy Font」が、AIによる文章取得や画像認識への対抗策として改めて注目されています。
Decoy Font自体は2026年夏にMixFontが公開したものですが、9月11日にSmithsonian Magazineが、AIから文章を守ろうとする近年のタイポグラフィの動きとして特集しました。フォントが「読ませるためのデザイン」だけでなく、誰に読ませるかを制御するデザインへ踏み込んでいる点が興味深い事例です。
ひとつの文字に「人間向け」と「AI向け」の2種類を重ねる
Decoy Fontは、1文字の中に異なる2種類の文字情報を重ねています。
前面には細い輪郭線で描かれた文字があり、背景にはぼかされた太い文字が配置されています。近くから細部を見る場合と、少し離れて全体を見る場合で目立つ情報が変わるため、人間と画像認識AIで異なる文章を読み取らせる仕組みです。
この仕組みには「空間周波数」という考え方が使われています。
空間周波数は、画像の中にどの程度細かな変化が含まれているかを表す考え方です。細い輪郭など細かな情報と、大きくぼかされた形の情報を重ねることで、見る距離や解析の仕方によって異なる形が強く見えるようになります。
有名な例として、近くではアインシュタイン、離れるとマリリン・モンローに見える「ハイブリッド画像」があります。Decoy Fontは同じ視覚現象を文字へ応用しています。

AIには「おとり」の文章を読ませる
MixFontのデモでは、ひとつの画像に本来読ませたい文章と、AI向けの「おとり」の文章が重ねられています。
人間が画面を少し離れて見ると背景側の文字を読み取れる一方、画像をAIへ入力すると輪郭のはっきりした前面側の文字を優先して認識するケースが示されています。
MixFontはChatGPTやGeminiを使った実験例も公開しています。
一般的なフォントが、人にも機械にも同じ文字を正確に伝えることを目指すのに対して、Decoy Fontはその前提を逆転させています。
人間と機械に違う情報を渡すために文字を設計する。
この発想自体が、タイポグラフィとして面白いところです
普通のフォントとしてインストールできる
視覚的な実験だけではなく、Decoy FontはTTF形式のフォントとして配布されています。
TTF(TrueType Font)は、WindowsやmacOSなどへインストールして使える一般的なフォント形式です。Adobe IllustratorやPhotoshop、文書作成ソフトなどでも利用されています。
MixFontによると、Decoy Fontは個人制作、商用制作、クライアントワークでも無料で利用できます。字形はオープンソースフォント「DejaVu Sans Mono」をもとに制作されており、詳細な条件は同梱されているライセンスに従います。
つまり、特殊な画像生成プログラムを毎回動かすのではなく、通常のフォントと同じように入力して使える点も特徴です。
「AIに絶対読めないフォント」ではない
ここは重要です。
Decoy Fontは、AIから文章を完全に保護する仕組みではありません。
MixFont自身も、防御を保証するものではないと説明しています。仕組みを理解したAIエージェントが画像処理を行ったり、ユーザーが「背景側の文字を読んで」と指示したりすれば、隠された文章を解析できる可能性があります。
そのため、「このフォントを使えばAI学習を防げる」「Webサイトの文章をAIから完全に隠せる」と考えるのは早計です。
現状では、セキュリティ技術というより、現在の画像認識モデルがどの視覚情報を優先しているのかを逆手に取った実験と捉える方が適切でしょう。
文字を画像化しなければ効果は限定される
もうひとつ注意したいのが、Webでの使い方です。
Decoy Fontの効果は、AIが見た目を画像として解析する場合に生まれます。
Webページ上の文字が通常のHTMLテキストとして存在していれば、クローラーは画面をOCRで読む必要がありません。HTMLソースから文字情報を直接取得できます。
OCRは、画像やスキャンされた文書に含まれる文字を機械的に読み取ってテキストデータへ変換する技術です。
そのためDecoy FontをWebフォントとして指定しただけで、ページ上の文章をAIスクレイピングから守れるとは限りません。
ポスター、画像投稿、作品画像、SNSへ投稿するグラフィックなど、文字そのものが画像として渡される場面の方がDecoy Fontの考え方と相性があります。
Ghost Fontでは「動き」そのものに文字を隠した
MixFontはDecoy Font以前にも、「Ghost Font」という実験を公開しています。
こちらは通常のフォントファイルではありません。
多数の点が動く映像の中で、文字を構成する点と背景の点に異なる動きを与えることで、人間には文字が浮かんで見える仕組みです。静止画にすると文字の形が消えてしまうため、1フレームずつ画像として処理するAIには認識しにくくなります。
つまり、
- Ghost Font:時間・動きの差を利用する
- Decoy Font:細かな形と大きな形の差を利用する
という違いがあります。
どちらも「文字そのものを暗号化する」というより、人間の視覚処理と機械の画像処理の違いを利用している点では共通しています。
AI対策そのものがタイポグラフィのテーマになり始めた
こうした試みはMixFontだけではありません。
2026年には、AIスクレイパーが読み取った文章を崩すことを目的に設計された「ShieldFont」など、文字デザインを使って機械による取得へ干渉するプロジェクトが複数登場しています。Smithsonian Magazineも今回、Decoy Fontを単独の珍しいフォントではなく、こうした一連の動きの中で取り上げています。
従来のタイポグラフィでは、
- 読みやすさ
- 印象
- ブランドとの相性
- 文字の美しさ
- 媒体への適応
などが主な設計対象でした。
そこへ新しく、「人間と機械で読み方を変えられるか」という論点が入ってきています。
AIによる画像認識や自動取得が一般化したことで、文字は単なる視覚表現ではなく、人間と機械の境界面にもなり始めています。
デザイナーにとって面白いのは「防御性能」だけではない
Decoy Fontをそのまま制作物へ使う機会は、多くのデザイナーにとってそれほど多くないかもしれません。
しかし、設計思想には応用できる部分があります。
従来なら「すべての閲覧者に同じ形が伝わること」が前提だった文字に対して、見る距離、画面サイズ、解像度、認識方式によって別の情報を持たせる。
これはポスター、Web表現、展示、映像、パッケージなどでも使える考え方です
たとえば遠くから見たときと近づいたときでメッセージが変わるポスターや、縮小表示では別の形に見えるグラフィックなど、AI対策とは切り離しても視覚表現として成立します。
AIを騙せるかどうかだけを見ると、モデルの性能向上によって短期間で突破される可能性があります。
一方で、人間の知覚特性そのものを文字設計に組み込むという発想は、AIの性能とは別にタイポグラフィの題材として残ります。
「AIに読ませない」ことをフォントが考える時代へ
フォントは長いあいだ、情報をより正確に、より美しく伝えるために作られてきました。
Decoy Fontは、その役割へ少し変わった問いを投げかけています。
文字は、誰にでも同じように読めなければならないのか。
人間には読ませたい。しかし機械にはそのまま取得されたくない。
生成AI、OCR、検索エンジン、スクレイパーが同じコンテンツを読む現在、文字をデザインするときの「読者」は人間だけではなくなりました。
Decoy Fontが長期的なAI対策として機能するかはまだわかりません。MixFont自身も完全な防御ではないことを認めています。
それでも、「読みやすい文字」とは反対方向からタイポグラフィを考えたことで、機械が日常的に文字を読む時代ならではの新しいデザイン領域を見せています。
関連リンク
MixFont「Decoy Font」公式ページ
Smithsonian Magazine「Designers and Computer Scientists Create New Decoy Fonts That Humans Can Read but A.I. Bots Cannot」
Ghost Font公式ページ